MONUMENTS AND MASSES WITH BARBARA BESTOR

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Monuments and Masses with Barbara Bestor

まとまりを欠きながら点々と広がり続けるロサンゼルスの都市風景は、永続的にクリエイティブであり続けようとする人間の表現力と、そのヴィジョンに、力強く立脚し続けようとするモニュメントのようだ。
リチャード・ノイトラ、エドワード・キリングスワース、そしてフランク・ロイド・ライトといった著名建築家のキャリアは、建築史において揺るがしようのない神話のように語り継がれてきたが、バーバラ・ベスターは、過去15年の間、そうした建築史が男性優位の作品規範によって先導されてきたと主張する。

ベスターと彼女の会社、ベスターアーキテクチャーは、デザイン業務を担うだけではなく、LAの最もユニークな建設現場を監督し、この街で、もっとも先見性を期待されるひとりとなった。彼女のデザインには、多数のコラボレーターが参加しており、そのことが彼女の作品に、ほかとは異なる多面性と魂を加えているのは確かだ。バーバラの気さくな人柄、そして、どこか得体の知れない個性が、多くのクリエーターを魅了するのだ。

今からちょうど10年前に、『Bohemian Modern』という本を上梓されて以来、かなり多忙な生活をされていると思いますが、最近、面白かった出来事はありますか?

イスタンブールやマリ、モロッコに行ってきたことかしら。こういった場所の特徴は、2次元的なアプローチを多用しながら3次元空間を作りだしているところにあるわ。イスタンブールは、Intelligentsia Coffee (シカゴ発祥のコーヒーハウス) をデザインするのに先行して訪れたのだけれど、この時、たまたま見つけたギリシャ料理のレストランに多大な影響を受けたの。そのレストランは、香辛料市場の二階にあるのだけれど、まるで50年代の世界を体験しているような錯覚に襲われたのよ。青と白のタイルが、まるでカーペットのように、床も家具をも覆っているの。どこか寂れているのだけれど、同時にラグジュアリーでもある、そんな空間。おそらく、1600年代あたりに建てられたのだと思うわ。内装のミックス感とテクニックがとても気に入ったの。パリでも一度、同じような経験をしたことがあるけれど、すべてが透明で内省的、そして非物質的なのよ。完全に圧倒されたのを覚えているわ。

そういった旅行での経験を Intelligentsia やその他のプロジェクトに適合させていくのはとてもエキサイティングなことなのでしょうね。

あのレストランほどではないけれど、LAにも、そういった色あせた雰囲気はある。まあ、スタッコと煉瓦を使って、人工的に経年変化したような雰囲気を再現した建築が多いのだけれど。建築や空間から、自分たちの歴史を感じるということは非常に価値のある体験だと思うけれど、新しいものをワザと古く見せるのはどうかしら。

あなたは、かれこれ20年間に渡ってエコーパークやシルバーレイク、あるいはその周辺地域に住んでいらっしゃいます。かつて、これらの場所の素晴らしさを嬉しそうに語っていらっしゃいましたが、こうした土地が今後目指そうとしている方向性を、どう思いますか? 今でも、LAは先進的で可能性に満ちた土地だと思いますか?

これらの地域の歩みについては、私は概ねハッピーよ。それでも、やはり昔のほうが可能性は多くあったように思う。私は社会的な正義や人口の均質化を危惧しているの。多様な人々が毎日交流し合うことで、土地にエネルギーが生まれるわけで、私たちは間違いなく転換期に差し掛かっていると思うわ。仮にこの街が、NYのトライベッカのように変容してしまうとすると、とても残念ね。

サンセット大通りなんかは特に、そういった事が現実のものとなってしまうかもしれないと懸念しているわ。人が密集し、その結果、高層な建築物が数多く建てられた。クオリティ・オブ・ライフという観点から考えると、こうした事象がきっかけで、これまで建築物の保存なんかに興味のなかった人でも、考えるきっかけになるかもしれない。何も建築することができないビバリーヒルズのようにしろとは思わないけれど、これほど人々が過密な場所に、デヴェロッパーがアイデアとお金を投じることに違和感を感じるのも事実よ。

公共の交通機関が発達し、自転車でどこにでも行けるような街の中心部に人々を再居住させるべきだ、という考えに、多くの人々は賛同しているけれど、これは、人々がかつて暮らしていたような一戸建てには適さない考え方だと私は思うわ。だから、何が今の私たちの生活にフィットしているか、考え直さなければいけない。私が東京を好きなのは、狭い空間の活かし方が上手だから。私がエコーパークで試みているブラックバード居住区のプロジェクトは、東京が着想源なの。

LAに進歩的な計画委員会はありますか?

あると思うわ。後退的でないことは確かでしょうね。どんな政治家であっても、クオリティ・オブ・ライフを維持するための地域開発と、地域の経済活動とのバランスは難しい問題なのではないかしら。LA地域保存協会は、保全価値のある建築物を特定する活動に参加しているけれど、そのような活動を義務化するような法律はどこにもない。サンセット大通りにも保全対象と認定されるべき建築物があるかもしれないけれど、だとしても、保全を確約されるわけではないの。Curbed は、そういったことに対する人々の関心を高める活動をしていて、素晴らしいと思うわ。

建築家にも、地域をより良くしていく個人的な責任があると思いますか?

もちろんよ。私は、自分が賛同できないプロジェクトは引き受けないようにしているの。例えば、仮に誰かがシンドラーの家 (ロスの住宅街にひっそりと佇むギャラリー) を購入して、正しくないことをしようとしているのを知ったなら、私は彼らに、そもそもなぜシンドラーの家を購入しようと思ったのか尋ねてみると思うわ。私は自分が手がけるプロジェクトをきちんと全うする責任があるし、多数の小売業や飲食業の空間も手がけてきた。本当にクールなプロジェクトだと思ったら、無報酬で引き受けることもある。対象に夢中になることができたなら、その時点で成功と言えるのかもしれないわね。もし、自分は興味があるけれど、相手はそうでもない場合、おそらく、ただ多額のお金を失って終わってしまうかもしれない。彼らの関心を喚起するための説得に終始しなければいけなくなってしまうから。それは単なる時間の無駄だと思うわ。

あなたの手がけたプロジェクトを、いくつか解説して頂けますか? 特に、「Alta Dena House」、「 House Over a Wall」、「Glendower House」、「Show House」 などについて。

「Alta Dena House」は、Alta Denaという街にある美しい家で、名前は思い出せないけれど、1959年にある建築家によって建てられたの。この家には本当に美しいリビングルームがあったのだけれど、その他の部屋は少し小さすぎて、私たちはその増築を任されたの。この家は丘の上に立っていたから、私たちは、木々に隠れてあまり人目につかないような増築を心がけたの。それで、寝室とキッチンを新たに増築した。私たちは、リビングルームの天井高をもとの姿に復元し、裏手のほうにはかなり手のこんだ増築を行ったわ。作業はなかなか円滑に進んだわ。キッチンはベニヤ板ばかりたったのを、MDF を使って模様替えしたの。

「House Over a Wall」は私のお気に入りのひとつ。これは、5D (近未来のリアリティを考えデザインする学際的なスタジオであり、プラットフォーム)を開発し、近未来に対する学問的なアプローチをしているAlex McDowell と、その妻、Kirsten Everberg のために行ったプロジェクトよ。

私たちは当初、増築をイメージしていたのだけれど、最終的には原点に立ち返り、全く新しい家を新築することになったの。一階には、完全に開かれたリビングエリアを作り、隣にある子ども部屋との間仕切りに小さな収納キャビネットを設置して、双方の部屋から使えるようにした。この家は、行き止まりにある小丘に位置しているので、グリフィス展望台のパノラマ風景を望むことができるのよ。いつかその景色をカメラに収めてみたいわ。

「Glendower」も、ゼロから手がけた建物よ。これはどちらかというと「House Over a Wall」に似ていて、丘の上の新しい家という、極端にコンテクスチュアルで彫刻のような家。この家の二軒先には「Neutra house」があり、反対側の三軒先には、シンドラーの家がある。さらにそこには、フランク・ロイド・ライトの「Ennis Brown house」もあるの。急斜面に立っていて、モダニズム建築を象徴するケーススタディ・ハウスのような眺めを持った家。ある角度から見ると、LAの街並みをダウンタウンの外れのほうまで見渡すことができるの。この家のメインの眺めは、キッチンとダイニングルームの間にあるポーチのような外部屋から望むことができるのだけれど、本当に素晴らしい眺めよ。その地形にピッタリと寄り添うかたちで、プールもつくったわ。

「Show House」は確か、私が初めて手がけたエコーパークの物件。この家は、さまざまなコンセプトが組み込まれているの。例えば、空間を仕切る壁の胸の位置に取り付けた窓。これは、農学校のようなつくりなのだけど、牛が干し草を食べている姿を観察できるような窓ね。基本的には、市が許可している最も基本的なツーバイフォー建築なのだけれど、私はこれまで、2度の増築を加えているの。もともとはカップルのための生活/作業空間だったのだけれど、子どもたちが生まれたことで、生活スタイルが変わってきたから。

自信作であるにもかかわらず、あまり注目されなかったプロジェクトはありますか?

ハリウッドのお祖末なショッピングセンターの中にある、「Lou」というレストランを手がけたのだけれど、メディアからはほとんど注目されなかったわね。それでも、クリエイターの人たちには、デートの際に重宝されていたみたいだけれど。70年代のファブリックデザインをイメージしたカーテンを作り、バーにはハーマンミラーの棚を採用したの。コルク床もつくったし、トイレもとてもモダンに仕上げた。すべてが本当に生き生きとしているように見えたのよ。「Intelligentsia」に着手する前に、創設者であるDoug Zellを連れて行ったこともあるのよ。

自著の中で、ジョン・ラトナーの代表作「Silvertop house」に共感されていると触れていらっしゃいますが、この家と関わることになるなんて、想像したことがありますか?

いいえ、なかったわ。私の役目はどちらかというとこの家の管理であって、誰にもこの空間を侵害させないこと。この家には、70年代の時点で駄目になったものが2つあって、一つがキッチン、そしてもう一つが、マスターベッドルームなの。それらを修復した際、なるべくラトナーの当時の計画通りにしたわ。特段、ラトナーならここうするだろうと想像しながら作業することはないのだけれど、一つの建築のかたちとしては、やはり彼とどこかで繋がっていると感じているわ。あの家の建築を手がけた当時の職人たちのレベルは、本当にすごいの。その独特のきめ細やかさを知ることができただけでも、とても良い経験になったと思う。ときどき、クライアントをそこに連れて行っては、この家が持つ特別な効果を体験してもらっているわ。

またこの家は、私の最初の家を想起させるの。その家のキッチンにはガレージドアを取り付けてあって、ベッドにいながらにして、犬たちを外に出すことができたの。こういった特別な仕様や機能が人々に与える影響の大きさを実感したわ。これはみんなにとって楽しいことでしょうし、そういった享楽主義も、とてもエキサイティングなことよね。私はすべてをミニマルに抑える設計より、楽しさを生活に呼び込むようなアイデアが好きなんだと思うわ。

象徴的な建物の保全について、どのように考えていますか? 例えば、「Neutra VDL Estate」などは、外部の力を借りて保存する必要があると思いますが。

私もそう思うわ。実際、私もそのコミュニティに属しているもの。でも、もっと行動的な人もたくさんいて、多くが歴史学者なのだけれど、彼らは、そういった建物が歴史的価値を獲得できるように、さまざまなところで記事を書いたりしている。でも、そういった活動が物事をより複雑化させてしまうこともあるの。つまり、それらの家の所有者が、そんな風に書かれたくないと主張すれば、あなたができることは限られてしまう。ロサンゼルスには非常に活動的なモダニズムコミュニティがあり、彼らは保存活動にも積極的に取り組んでいるの。「Cinerama Dome」が壊されなかったのも、彼らの活動のおかげなのよ。保全活動の多くは、組織や団体が有する建物よりも、民間の家の方が難しいわ。民間の人たちは、こうした建物についてあまり気にしていないように見受けられるけれど、想像してみて。もしKillingsworthが設計した家を所有していたとしたら、あなたはきっと、クラシックカーを所有しているのと同じくらい誇らしい気持ちになるでしょう。

今、私が興味を持っているのは、70年代と80年代の建物の保全。そればかりに専念していくつもりではなど、方々に対して、かなりの交渉や語りかけを行う必要があるでしょうね。もう少しすれば、集合住宅についても何かしらのアクションを起こすつもりよ。歴史学者の友だちから聞いたのだけれど、70年代のサンタモニカの法令では、人々に二区画の居住開発を許可するものがあったそう。つまり、4棟の住宅、あるいはタウンハウスを分譲マンションのように使うことができたらしいの。結局その法令は10年しか続かなかったようだけれど、フランク・ゲーリーも、同様の試みを行っているわ。当時の著名な建築家の多くがやっていたことなのよ。こうやって中流階級を志向したアイディアを考えることによって、高い密集度とデザイン性の両方を獲得することができる、というわけね。私はもっと多くの人が、そのようなことについて知る必要があると思っているの。

そのあとは、「Curbed」のために何かやることで、今後、デヴェロッパーがどこに向かうべきか、人々の関心を向けることができるかもしれない。その結果、建築をより良い方向に導くことができると考えているわ。

私はロサンゼルスのデザイン史をとても誇りに思っているし、今でもそこから学ぶことは多いわ。中国と同じような問題に私たちが陥る心配は、おそらく余りないと思うわ。中国では、建造物にどんな価値があろうと、無慈悲に壊されてしまうことが少なくない。80年代にはそのような流れがあって、保存会の人などはかなり慌てたのよ。当時、本当にたくさんの建物が破壊されてしまったの。

あなたは私たちの地域の中で、Clare Vivier やTrina Turknado など、何人かの非常にパワフルな女性を支持し、彼女たちに夢を叶えるスペースを与えてきましたね。他にも特筆すべき女性はいますか?

SQIRLのJessica Koslow、あとは、Sofia Amorusoという女性かしら。彼女の自邸とその会社「Nasty Gal」のオフィスを担当したわ。あとはBeachwood CaféのPatti Peckね。

私はいつも、フェミニスト的な思想を持った会社を立ち上げたいと願ってきた。私が大学院にいたころは、女性経営者はまだ少なかったから。会社の中で要職に就いた女性はいたかもしれないけれど、女性が起業することは難しかったの。でも、素晴らしい公共建築をデザインした多くは女性なのよ。なのに、デザイン的にまったく評価されなかった。

女性が経営する会社は今でもそんなに多くはないけれど、ザハ・ハディッドや日本の妹島和世など、世界的に活躍している女性建築家はいるわね。彼女は、SANAAの共同経営者という形で西沢立衛とパートナーを組んでいるけれど。女性たちに、目標を叶えるべく突き進んで欲しいの。時に、自分一人で戦うのは骨の折れる仕事かもしれないけれど。

民間の世界であれば、私のデザインは十分なレベルに達しているかもしれないけれど、建築の世界では、私はとりわけ評価されているわけではない。というのも、私は概念的な建築をしないから。特に気にしているわけではないけれどね。アカデミアに携わっていても、私は学問的になりたくはないの。実際に現場で建物を建てているほうが、私には向いているから。ただ、美術館を手がけるとなると、そのような態度は最終的に変えざるを得ないのかもしれないわね。次の10年を見据えたら、公共的な美術館をやったほうがいいのかもしれない、と思うこともある。そうでもしない限り、建築家として高いステータスを獲得することはできないから。と言いつつ、やはり現場主義者であることに変わりはないから、最終的にどうなるかはわからないけれど。

今から60年くらい前、つまりミッドセンチュリーの時代は、デザイナーたちの横のつながりが強くみられたと思います。このようなつながりは、今も健在なのでしょうか?

当時のように、デザイナー同士がつながり合っているとは思わないわね。私の中のヒーローはLina Bo Bardiのような人で、私は彼女が大きく写ったポスターを持っているの。あとはLAのデザイナーであり建築家のGreta Grossmanかしら。昨年一緒にショーを行ったDebra Sussmanもそうね。

建築とデザインの世界に大きなコミュニティは存在しないと思うわ。ファニチャーデザインには存在するだろうと思うかもしれないけれど、そんなことはないわ。つながり合っているのは、多くの場合、教授の方たちかしら。

かつて私の下で働いていた人たちのことを考えると、ちょっとばつの悪い感じもするわ。彼らは独立して、自分たちでいろいろなことを始めたわけだから。

あなたは最近、アーティストのJames Wellingと一緒に、写真と建築に関する委員会の司会を務めていましたね。また、過去にはGeoff McFetridgeといったアーティストや、ガーデンデザイナーのStephanie Bartrontとも一緒に仕事をされました。あなたには、構造や設計を越えて、共鳴し合うビジョンの持ち主を引き寄せる能力があるのですか?

私の成功作品の多くは、そうした優れたコラボレーターの存在があってこそ。彼らは私に、さまざまな視点を与えてくれたわ。異なるビジョンを持つ人たちが共存しているという環境が、物事を面白くしてくれるのだと思うわ。

「Silent Disco」プロジェクトは、その具体例と言えますか?

あれに関しては、ほとんど自分たちで手がけたものだけれど、Julie Chowが協力してくれて、本当にクールなプロジェクションをしてくれたと思う。当時、かなりシビアな状況にある建築学校にいたわけだから。その頃の私は、政治問題に発展した美学のせいで、自分の主張をする必要があった。このプロジェクトはとてもラフであると同時に、とても雰囲気のあるものに仕上がった。さまざまなテクノロジーも駆使したの。レーザーカットや、クレイジーな円形素材をベニヤ板に無造作にはめ込んだりして。私たちはBeatsとも連携していたから、iPodを差し込んで、いつでもその空間をディスコに変えることができたのよ。アーティストになっていたのは私だけだったけれど。

こうしたプロジェクトを、さらに掘り下げたいと思われますか?

私は実のところ、建築の退屈さが好きでもあるの。つまり、問題解決、ということよ。ドアや窓が、最終的にどのようなかたちになっていくか、そういったことを考えるのが好きなのね。パビリオンなど、ワンオフのプロジェクトにはあまり興味がないの。人々の生活の一部になるようなものをつくることで、幸せになって欲しい、そう思っているの。

www.bestorarchitecture.com

Interview by Dustin Beatty
Photography Courtesy of Issac Sterling and Bestor Architecture